Bollito Misto Vol.259
イタリアと日本には精神的に非常に近い部分もあれば、価値観というか優先順位というか、とにかく感覚が違うことも多い。
イタリアがというより、日本の特殊性という部分だとは思うのだが、その違いが特にクルマに対する部分で顕著に出る。
例えば日本での「アタリマエ」が世界でもアタリマエである例をみてみよう
ジーンズ。
ビンテージジーンズはもとより、穴だらけのものでも、新品を履くよりもカッコいいとされる。
もちろん好みはあるが、ダメージジーンズがカッコいいという一定の評価基準はある。
エレキギター。
こちらも指板の手垢はもちろん、ボロボロに塗装の剥げたボディがカッコいいという価値観が確固たる地位を築いている。
これは、「年季=歴史」という部分に対するリスペクトもあるのだが、身体に近い存在という点で「馴染み」が重要であるという感覚が元なのかもしれない。
それでいうと、かなり身体に近いクルマなのだが、ことクルマの程度に対する感覚は、日本とイタリアには相当な差があると言わざるを得ない。
日本では外装に対しての要求が異様に高い気がする。
色味よりも塗装の質に対して異様にこだわる…。
もちろん、ジーンズや靴、ギターなどと比較すると、程よいヤレや年季の入り方が否定されるケースが多いのが日本のクルマ世界ではないだろうか?
イタリアの話をすると、きれい=正義ではあるものの、クルマには「走る」という重要なお役目があるので、ボディの傷や汚れに対しては驚くほど寛容だ。
むしろ古い車に恐ろしく硬く艶のある塗装をしたりすると、「わかってねえなあ…。」と一蹴されてしまう。
フィアット500のような小さなクルマに、数ヶ月かけた板金塗装などすると「なんで???」ってなる。
走るなら、たしかにそういった細かい傷に頭を悩ませたり、いちいち補修している時間もお金ももったいない。
なので、イタリア人のいう「程度極上」の塗装というのは、パッと見がきれいであるというものが多い。
それは目的が「走る」に特化しているからだろう。
塗装が垂れていようが、エンジンルームと色が多少違おうが、そこはあまりこだわらない。
ちなみに、イタリアで商品を購入すると結構な確率で箱が破損している。基本、箱は捨てるからだ。イタリア人だけじゃない、欧米人はおしなべてプレゼントなど丁寧な包装をされているものをバリバリ破いて中身を取り出す。そんなところにも目的意識の違いがみてとれる。
話をクルマにもどすと、めったに走らないで、いつもライティングされている車庫で眺めるなら、やっぱり傷ひとつないボディがいいかもしれない…。でも、走るたび飛び石やゴミが飛んでこないかとビクビクしながら走るのは嫌だ…。
よくイタリアの古いクルマの塗装はよくないとか、レストアが雑だとか言われるけど、まあいいんじゃないかなあ…。イタ車は走ってなんぼだし…。
まあ、イタリア人でも内装のビニール剥がさないで50年くらいたってるクルマってのもあるんですけどねw。
とにかく、個人の意見ですよ。あくまで…。
それでは、また近々。
A prestissimo!!