Vol.017 オーマイジュリア

GTA懐かしい昭和の歌謡のくだりだが、いよいよジュリアが復活する。
位置付けとしては159の後継なのだろうが、直接のライバルがBMWの3〜5と言われているので、実のところは166にも近かったりする。シャープなデザインはもとより、何より気になるのが、FR駆動が復活するということだ。

Q4があるのにFRなんて何を今更…。
というような無粋は置いておき、ここは素直に喜ぶべきところだろう。

ジュリア伝説の元となった105系のコンセプトが「高性能」。
そのラインナップは、セダンありクーペありスパイダーあり、果てはレーシングモデルまであったので、「ジュリア」はいち車種のペットネームとはいえないほどのバリエーションを誇った。
今の車だと、様々なボディやエンジンバリエーションを一台で実現することは不可能ではなくなってきている。クーペっぽい4枚ドアなどお手のものだし、街乗りもできるのに最高速300km/hなんてこともお茶の子さいさいだ。

 

 

 

 

 

 

alfa-romeo-giulia-169-primo-rendering_4その意味から言うと、なんで今さらFRなのよ?
と言わざるを得なくなる。
本当はアルファブランドによる、マルチパーパス・ハイエンドカーを目指すべきなのではと思ってしまう。FR復活に心ときめいたと発言したのに、少々矛盾するのだが、こうしたブレにやはり今のフィアットグループ本体の不調を心配してしまうのだ。

 

 

 

 

 

それは、日本での好評が嘘のように不評がはびこる4Cにも同じことが見られる。
これは4Cの名誉のために言いたいのだが、別に車自体の性能やスタイルが悪いのではなく、そのコンセプトが欧州の自動車事情にそぐわないという判断が影響しているのだと思うのだ。

 

 

 

 

 

Alfa-Romeo-Giulia-Rendering_01少々私見が入って入るので鵜呑みにはしないで欲しいのだが、欧州市場の「新しい車」に対する評価軸が日本とは明確に異なってきているのだ。簡単に言うと、彼らは新しい車には快適さを求め、その代わりにドライビングプレジャーや所有欲に関する部分の欲求を捨てつつある傾向が顕著なのだ。(厳密にはさほど期待していないというべきか…。)

 

 

 

 
昨今のSUV人気や、20年前まではハンデイキャップを持った人たちのためだと信じられていたAT車の急激な普及などからも読んで取れるのだが、とにかく道路や交通法規、燃費問題など運転環境が激変してしまい、積極的に最新機能(=運動性能)を楽しむ場所がなくなってしまったことにも大きな原因があるだろう。
その反動ともいえるのが旧車の人気っぷりだ。やはり人車一体感やデザイン優先のエレガンスなど、所有する意味合いや価値が現行車種とは比較にならないのだ。確かにドライビングプレジャーというのは、必ずしも圧倒的な速度が条件ではない。
本質論が大好きな欧州人らしいといえばそれまでだが、こうした側面から考えると今度のジュリアにはアルファ本来のエレガンスやスポーティネスを体現する、最新のシステムで臨むのが捲土重来のきっかけになるのではと心配してしまうのである。

 

 

 

 

それではまた近々。

 

 

A Prestissimo!!