クルマはジドウシャである。
しかし、それはコミューターやモビリティという言葉に変換できるのか?
それとも依然としてブーブーなのだろうか?
フランクフルトモーターショーなどのいわゆる新車ショーと、レトロモビルやエッセンをはじめとした欧州旧車ショーを見比べて思うことだ。
劇的に進化した燃費性能は、クルマを利用するすべての人にとって益をもたらすものだが、一方でクルマという物質の存在や価値じたいを高めたかというと、少なくとも趣味の範囲からはYesとは言いがたいのではないか?
テクノロジーの進化により運転そのものの負担が相当に下がったことは紛れもない事実だし、そうした技術がちょっとでもお気に入りのクルマに活かせればどんなにいいことだろうと夢想することも多々ある。
不思議なのは、リッター30kmになろうと、自動でブレーキを踏んでくれようと、レーンが外れても戻ってくれても(そもそも外れないけどね)、それが購買のきっかけにはなっていない。
運転しなくなったとしても、それを買う自分が想像できないのだ…。
万一自分で運転できなくなったとしても、代わりに運転をしてくれるプロの人がその頃にはたくさん居るような気すらするのだ。
日々の移動は日本でも欧州でもクルマがメインである。V8ツインターボで、一昔前のツーリングカーなんか直線でぶっちぎれるようなクルマから、必要十分なパワーと恐るべき燃費性能を誇るクルマも所有したことがあるが、それはどれもすばらしい製品だったし、とても気に入っている。
しかし、ふと冷静に振り返ると、あくまで仕事のツールとして満足していたに過ぎず、少なくとも奥さんに内緒でローンを組むほどの魔力を秘めていたかというとそれほどではないというのがホンネだ。
つまり、少なくとも自分は、クルマをブーブー(=つまりはオモチャ)として捉えている人間であることが、今更ながらよーくわかったということであり、その意味では昨今の旧車ブームというのも、これに非常に近いのではと思っている。
ブーブー好きには、ノスタルジーという言葉で片付けるには今の世の中のモノづくりが、あまりにも消費者(ここでは具体的にクルマにお金を使いたいと思っている人たちと限定したほうがいいだろう)のホンネとはかけ離れた世界に突入しつつあるということなのではないだろうか?
ちょっと後向きすぎるかなぁ?
それではまた近々
A prestissimo !!