エンツォ・フェラーリがアルファ・ロメオのワークスドライバーであったことは多くの人が知るところだとは思う。フェラーリがアルファ・ロメオに対してある種の恩義を感じていることは有名な話で、エンツォ率いるフェラーリがアルファ・ロメオをF1で打ち負かしたときに発した「私は母親を殺してしまった」という言葉はあまりにも有名だ。
一方、トリノの雄であるランチアとフェラーリの関係はというと、1955年までは単なるライバルに過ぎなかったが、この年、不幸な事故などが原因でF1からの撤退を決めたランチアが、天才技師としてその名を馳せるヴィットリオ・ヤーノとそのマシンD50など機材すべてをフェラーリに譲渡することで後の伝説が生まれることになる。
D50はいかにもランチアという、最新技術と挑戦に満ち溢れたクルマで、もちろん戦闘力も高かった。しかし、何よりいろいろな経緯はあったにせよ、フェラーリチームはランチアのエンブレムを付けたままD50をグランプリに出走させ、その粋を見せつけたし、30年たってその逆を実現したフィアットの当時の経営陣には頭が下がる。
ヘッドカバーにはよくある「Powered by Ferrari」ではなく「Lancia by Ferrari」とあるところも実にニクい。
ガッシリとしたアクセルベダル。獰猛さとは無縁の室内。それでいて十分にフェラーリを感じさせてくれる計器類。踏み込めば前から降り注ぐ「あの」サウンド。
とまあ、なんとも男の自己満足をしっかりと満たしてくれるようなクルマだったことは間違いない。ランチア・テーマ8・32。
コラボモデルはそれはそれで良いものも多いのだけど、こういう「渋い」クルマってのはもう出てこないのだろうか…。
ところで、中古なら今でも手に入るかって?
物理的には手に入りますが…。
ただ、それなりの苦労と覚悟が必要なことだけは先に申し上げておきますね。
それではまた近々。