- イタリア好きが嵩じてついにはフィレンツェに移住までしてしまったCollezioneイタリア特派員Noriによる、「イタリアよもやま話」。
- ちなみに「Bollito Misto」とはいわば「ごった煮」のこと。
- 自動車、自転車、食事にワインやサッカーはもちろん、たまには真面目な社会的な?お話を勝手気ままにお届けします。
イタリアは遠い。
日本から約一万キロも離れている。
飛行機だとかれこれ12時間はかかる。
ほとんど地球の裏側。
言葉も文化も違うけれど、意外とメンタルは日本人に似ているところがあるのは、余り知られていない…。
今回はちょっと真面目なお話。
日本人の十八番、「礼儀礼節」について考えてみた。
礼節の国。他者に対する尊敬と尊重の国。日本。
そういう国だと思っていたし、そう教えられてきた。
でも、久しぶりの故郷に感じたことは
そこかしこに満ち溢れる無礼、不遜、嫌悪、そしてストレスのなんと多いことか。
イタリアは想像にたがわず実に煩い国だ。いい意味でも悪い意味でも。
言ってみればちょっと大阪っぽい。(大阪の皆さんすみません。そんな私は大阪出身。)
よく言うと「生きるためのノイズ」に満ち溢れている。
他者に対する尊敬と思いやりは、少なくとも私が幼少時代の日本に酷似している。老いも若きも「挨拶」は欠かさないし、譲りあい精神は日本よりも旺盛。
とかく「みっともない」事を相互で避けるように努めている。(それでもずいぶん荒れたらしいが…。)
一方、世界の大都会、東京はどうだ?
圧倒的な人の数によるものか、はたまた前述の「殺気」によるものか、とにかく別の意味で「ウルサイ」のだ。
面積こそイタリアと同じだが、人口は約倍。そのうち3割近くが東京に集中するというおかしな状況はさておき、「袖振り合うも多生の縁」なんて粋な言葉もどこへやら、電車などではすっかり「寄らば切る」の様相すら呈しているし、コンビニの列などでは、待っている最中の耳元には、うら若い女性から舌打ちすら聞こえてくるほど殺伐としている。
価値観の押し付けなどしたくはないし、これが日本だけで起きていることでないことは重々承知している。だから、いまさら自分の国を変えたいとか、良くしたいとか思えるほど聖人君子でもないけれど、イタリアのみならず世界中の人達から「日本はすばらしい、日本人はすばらしい」と言われていたり、東京オリンピックが決まった今、「このままでいいの?」と思わざるをえない。
SONYのウォークマンが街のファッションだった時代はすでに遠い昔。恐らく多くの若者達が「耳栓」をするのは、こうしたノイズを本能的に避けているのではないかとも思えてくる。
そのヘッドホンをして、スマホをいじりながら信号お構いなしで歩道も車道ものべつ幕なく突っ走るママチャリたち…。
クルマを愛する私達にも無関係ではない状況がすぐそこにまで来ているようだ…。
クワバラクワバラ、である。
果たして、あと7年で日本人は「お・も・て・な・し」を他者に施せるほど寛容になっているのだろうか…。老婆心ながら心配せざるを得ない。
オアトはヨロシクないけれど、今回はこのへんで。
それではまた近々
A prestissimo!