イタリアよもやま話〜Bollito Misto vol.38

      イタリア好きが嵩じてついにはフィレンツェに移住までしてしまったCollezioneイタリア特派員Noriによる、「イタリアよもやま話」。

 

      ちなみに「Bollito Misto」とはいわば「ごった煮」のこと。

 

      自動車、自転車、食事にワインやサッカーはもちろん、たまには真面目な社会的な?お話を勝手気ままにお届けします。

 

 

 

 

 

 

 

今年も4月、新年度、新学期。
日本人にとっての4月というのはいつもながら「新しい」感じがする。
桜の花見もたけなわで、今年は皇居の乾通りが史上はじめて開放となったらしい。
何かとおめでたい感じがジワジワと盛り上がってきている日本らしい出来事のような気がする。

 

 

 

 

春といえば、フィレンツェはまさに花盛りになる季節で、一年のうちでもっとも風景が華やいでくるシーズンに突入する。
地元民的には、同時にスギ花粉ならぬ、綿ぼうしの洗礼を受けるのがチトつらいが…。
無粋はさておき、緑多き土地柄が百花繚乱で彩られるのは、やはり気持ちがいいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春、フィレンツェといえば、ボッティチェッリ。
デザイン業界的には「Adobe Illustrator」の人。
美術の授業でボッティチェリとかボッティチェルリとか、実に勝手な呼び名をされていた日本人泣かせの難しい名前の人だ。
正しくはBotticelli=ボッティチェッリ。
ナカシマさんをナカジマさんと呼んじゃ失礼なのと同じように、ここは正しい呼び方を覚えましょう。

 

 

さて、この誰もが一度は学校の教科書などで目にしたことのあるあの絵「ビーナスの誕生」だが、実はこれにはいろいろと生じゃないと伝わらない魅力があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご多分にもれず私も「ビーナスの誕生」は移住するまでその目で見たことはなかった。
まあ、ルネッサンスの代表的絵画の一つというレベルの認識でしかなかった。
それもそのはず、美術の教科書で語られる絵画のサイズは、小さな作品も壁画もすべて同じ大きさの写真になっている。

そう、実はこの作品は異常にデカイのである。高さ180cmちかく、幅は3mちかくにもなる。
しかも、当然なことながら、実に「絵が上手い!」ので、その迫力はサイズ以上のものを感じさせるに十分なものなのだ。
この作品は、時の権力者、メディチ家の男から愛人へのプレゼントだったといわれているが、さぞご迷惑なデカブツだっただろう。

 

 

美術の専門家でもなければ、その専攻でもなかった人間の言うべきことじゃないかもしれないが、おしなべて日本の芸術論というのはつまらないと思う。申し訳ないけど。
もっと何がスゴイかをわかりやすく教えて欲しかったなあ…。そうしたら、もっと好奇心を持って勉強したと思うのに…。フィレンツェに住んでそれを強く実感したものだ。
多くの日本人がパリへ行きたがるのも同様で、凱旋門の大きさもやはり行った人にしかわからないように、圧倒的な迫力を目にした時に人は心奪われ、そこを離れた後も憧憬を抱き、人に自慢したりするものだ。

 

 

それはともかく、ちょっと考えてもみて欲しい。かなり上手な(まったく失礼なもの言い)絵画が、そのサイズで眼前にあることを。
芸術家が考えるインパクトとは、時としてほとほと呆れるほどスゴイものがあるが、これもまぎれもなくそのうちの一つに数えられる。

しかも、ここまで2Dの切り絵みたいな宗教画メインだった世界が、急にイラストに変化するのだ。
しかも、今でこそ違和感のないこのタッチだが、美人でリアルなヴィーナスが、一糸まとわぬに近い姿で、ファンタジックな世界観をモチーフに、スーパーリアル系イラストで表現されているのだ。
よく言うショッキングなモダンアートなどより、はるかにインパクトがあったことが想像できる。電気すらない時代である。まさに芸術が爆発しているのだ。

 

 

 

 

いま見てもテーマパーク的な街のフィレンツェが、その全盛期、ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ボッティチェッリ、ラファエロ、ブロンジーノなどまさに天才芸術家がひしめき合った「たまり場」だったことには理由があったのだろう。
やはり、お金や権力以外にも強い魅力があったとしか思えない。

意外と楽しい街、フィレンツェ。みなさんも是非!

 

 

 

 

 

 

 

 

それではまた近々

A prestissimo!