イタリア好きが嵩じてついにはフィレンツェに移住までしてしまったCollezioneイタリア特派員Noriによる、「イタリアよもやま話」。
ちなみに「Bollito Misto」とはいわば「ごった煮」のこと。
自動車、自転車、食事にワインやサッカーはもちろん、たまには真面目な社会的な?お話を勝手気ままにお届けします。
いま、ビンテージという考え方がヨーロッパを席巻している。
ひところから流行りだしたスティーブ・マックィーンをフォローする風潮が、007などの映画をみるまでもなく、街中に広がりつつある。
メンズファッションの方向性を決めるPitti Immagini(通称・ピッティ・ウォモ)などでも、30年代〜50年代なファッションが非常に増えた。まもなく始まる6月のピッティでもその勢いは衰えないだろう。
服だけじゃない、小物である時計、メガネ、カメラ、果ては自転車、バイク、自動車まで、ビンテージな考え方が急激に広まっている。口の悪い人からは、「不況だし、あんまり派手なのは受けないからね」という声も聞こえるが、恐らくそうじゃない。
これはひとつの現代の文化、社会の風潮に対するアンチテーゼのような気がする。
十把一絡げにいうと、安くて派手なものが増えすぎ、本物感、重量感が欠如していることに人々が不満を抱き始めたのだと。
ファッションのテイスト云々ではなく、本質はそうした精神的なところにあり、ただのレトロブームではない何かがあるような気がしてならない。
そんなわけで、もしあなたが70年代以前の自動車に触れたことがないのであれば、是非ともその質感を味わうべきだと思う。強くそう思う。
70年代初頭に発生した石油ショック以前と以後では、モノづくりの考え方が根本的に異なっていた。前者は「より良いものを」後者は「より儲かるもの」へと移行した。
つまり、仕事の要領にこそ配慮するも、「コスト」という考えを上回る「プライド」が存在しており、それを支える「ロマン」が仕事に拍車をかけていた。つまり「人の時代」だったわけだ。
作り手のエゴと買い手の夢が結実したモノづくりが確かに存在したのだ。そのころのプロダクトに魅力がないわけがない。それに触れないのは、それこそ、あまりにもったいないというものだ。
見るからに重厚感溢れるバンパーやボディワーク。操作系のあらゆる動作に介在する「重み」というメッセージ。見るたびに表情を変える、愛情たっぷりに作られたデザイン…。
情熱と時間をしっかりと使った、真心たっぷりの美味しい手料理のようなプロダクトがビンテージには存在しているのだ。
なぜ30年、50年といった年月を超えて現代までその生命を生きながらえさせているかを考えてほしい。それだけモノがイイという証明でもあるのだ。
確かに現代は想像を超える便利さを手にした。かく言うこうした原稿すら、時差のある国から都度送りつけることが簡単になった。しかし、それと同時に失ったもの、感覚も多々あるのは事実だ。
温故知新という言葉がいささか古臭さを感じることは否めないが、やはりこの言葉以外の表現が見当たらない。我々の未来はもっと面白く、刺激的であってほしい。
それではまた近々。
A prestissimo