282 自動車文化という認識

自動車文化の深みを体験できるのが、欧州の蚤の市。

パリやドイツ、イタリアなどで週末の過ごし方の一つとしてメジャーなイベントとなっている旧車ショー。

こうした「クルマとの付き合い方」を日本にも広めようとスタートした「Automobile Council」。発足前から微力ながら協力させてもらった経緯もあり、毎年足を運んでいる。

昨年の4月はまだコロナ禍によるマスクの自主規制があったので、実質今年が本当のコロナ後初の開催になったともいえるだろう。

欧州に暮らしていてイチバン感じるクルマとの距離感としては、自動車には2つの側面と捉え方があると思う。

もちろん、日本でもそういう感覚を持っている人がたくさんいると思うが、ひとつは仕事や通勤のアシとしての存在と、もうひとつは自分や家族との楽しい時間をともにするための趣味のクルマという側面だ。昔の表現で言うなら、「クルマの達人」とか「遊びの達人」という言い方をするのだろうけど、実際問題コロナ後の日本は、ずいぶんとこれらの遊びに対する認識が広まり、理解が深まった気がする。

正直、欧州ではここ10年、日本でもここ2,3年、古くておしゃれでかっこいい車の値段が高騰している。

欧州車だろうが日本車だろうが、姿形がそっくりになってきてしまっている昨今のクルマたちに辟易している人たちが、こぞって古い車を買い始めているわけだけど、また次、大きな厄災が訪れたら、少しでも楽しい車とどこかに逃げ出したくなるのは人情というものだと思う。

こと、デザインという観点で偉そうに言わせていただくと、自動車業界における2000年代以降の四半世紀は、まったくもって発見のない、停滞期と言い切れると思う。

その理由や原因についてはもはやここでは語る必要はないと思う。

以前、欧州の大手メーカーのブランド部長が話してくれたが、「結局ヘリテージなんだよなあ…。これから生き残るには…。」

少しでも、こうしたヘリテージに触れたり見たりする機会を日本でも増やしていく必要があるだろう…。

間違いなく日本の基幹産業は自動車業界なのだから…。税金がどうしたとか、あおり運転がとかレベルの低い話ではなく、自動車との付き合いが、他国も羨むようなものに昇華させていかないと、自動車大国だなんて言っても、笑われるだけな気がする。

それではまた近々。

A prestissimo!!