2月末にはじまったウクライナ問題。4月の声を聞けば収まると思っていたが、意外と長引いている…。そんな言い方が正しいとは思わないが、もっとはやく決着はつくものだと安心していた。しかし、これを書いている4月の半ばにもまだ解決どころか、一向に先が見えない状況になっている。 そこに加えて、ロシアが日本海に向けてミサイルを発射したという…。北朝鮮が発射するというのとは、意味合いが異なってくる。 少なくともロシアの言い分をきっちり聞いた上で、制裁の片棒を担いでいるのだろうか…? ちょっと心配だ。 ここでこんなことを言っていても、なんの解決にもならないのだが、少なくとも為替相場を見る限り、かなりのヤバミを感じざるを得ない。 円ドルが126円台になったとか、こりゃどう考えても物価上昇が避けて通れないはず。 そこに来て、いまだに解決されないコンテナ問題をはじめとする貿易問題。 いい加減勘弁してくれと言いたい…
今年で7回目を迎えるオートモビルカウンシル。 自動車大国であっても、自動車文化の成熟という点ではいささか???の我が国において、もうちょっとクルマと暮らす人生や生活というものを、より色彩豊かにしたいという志でスタートした本格的なヘリテージカーイベント。 もちろんコレツィオーネも参加しています。 今年の目玉はスーパーカー。 わかりやすくスーパーカー。 代表的なスーパーカーということで、ランボルギーニ・ミウラ、カウンタック、フェラーリBB、そしてデ・トマゾ・パンテーラが会場の中央に鎮座ましまします。 個人的にはスーパーカー世代なのですが、それをおいておいても、やっぱり華がある。 とにかく猛烈に華がある。 スーパーカーってのは、こういっちゃなんだけど絶世の美女的なクルマだけがそう呼ばれるのを許されるようにしていただきたい。 馬力や最高速度ってのは、技術でなんとかなるけども、やっぱりデザインっての…
こちらでも何度か紹介している初代パンダ、つまり141と呼ばれるジョルジェット・ジウジアーロさんのデザインしたパンダの人気が再燃している。 イタリアでは数年前から、もちろん日本でも変わらず高い人気のパンダだが、ここしばらくは特に四駆モデルに人気が集中してきている。ちなみにイタリアではATの流通はほぼなく、ほとんどがMTだ。日本は半々だろうか…。 1980年に登場した初代パンダはその後2002年に、次期モデルにバトンタッチするまで20年近くをイタリアのアシとしてその主役の座を守り続けた。 いわばジーンズやスニーカー、いやジャージとでもいうべき「手軽さ」で、文字通りイタリアや欧州全域を席巻した傑作小型車なわけだが、それ以上に道具として徹底的に使われたという歴史がある。 フツウに乗るならFFのモデルで十分だし、価格も四駆に比べると安い。なので、FFモデルの方が販売台数も多い。 一方で四駆は実はジー…
意外なことに、ヘルメットは努力義務になりそうな日本の電動キックボード事情。どこよりも厳しい法律が律せられるのが日本の常だと思っていたが、イタリアでさえヘルメットは義務化になりそうなのに、まさかの日本がヘルメット着用が努力義務だという。 今も都心で結構見かける電動キックボードだが、時々クルマを運転していると特に夕暮れ時にヒヤッとするときがある。 実質人間だけという感じで、自転車以上のスピードでスーッと移動しているときがあるので、なんというか、質量を感じないというか、路上を走るモノとして感覚的にまだ認識できていないからなのだと思う。 特定小型原動機付き自転車となるキックボードだが、今回の改正案によると長さ190cm×幅60cm内に収まる車体が前提で、最高速度20km/h以下で制御。なので、実質は道路交通法の「普通自転車」の規定と変わらないものになる。ちなみに、21km/h以上30km/h以下の…
聖地巡礼なんて言葉が流行って久しいが、やはり学生時代の私にとっての聖地はトリノ市だったし、なかでもミラフィオーリ工場とリンゴット旧工場だった。 はじめてのクルマがFIAT X1/9という変わり種の私は、大学時代に自分と仲間のイタリア車のパーツを買うためにトリノへ出向いた。 本当は1990年の秋に訪れる予定だったのだが、たまたまイラク航空を予約していた私は、湾岸戦争のおかげで外務省の通達を受け渡航断念。二年後ようやく念願叶ってトリノ上陸を果たしたのだった。 今思えばイタリア語もできないのに、ポケット辞書さえあればなんとかなるだろうと、インド経由の南回りでローマ経由のトリノ入りしたが、最初の二日は疲労困憊でただひたすらホテルで寝呆けていた。 ようやくレンタカーを借りて、初めて訪れたリンゴットの感動はいまも忘れない。当時すでに工場でもなんでもなかったリンゴットだが、ここが多くのFIAT車の生まれ…
2月24日、ついに戦争が始まってしまった。もちろん、事の是非についてはこういった場所で話すべきではないと思うので控えさせてもらうが、以前にも話したことだけれども、この50年、なかなかいろんなことが起きている。 今からおよそ50年前の1973年の10月には中東戦争を発端とする石油ショックがあった。そのころ過ごしていた沖縄ではまったくベトナム戦争のまっただ中だった。 フツウに輸送機が戦車を載せて毎日基地から飛び立っていたし、友だちのお父さんは時々戦地へ出向いていた。 受験勉強していたころは東西冷戦があったわけだし、ワルシャワ条約機構と北大西洋条約機構(NATO)との関係性なんかもフツウに勉強をした。 ま、それでもバブルがあったおかげでなんかフワついた世の中ですごしてしまったせいか、すっかり平和だとか信じ切っていた。ところがどうだろう。よくよく振り返ってみると結構なことが起きているではないか。 …