クルマという概念がかわる
大げさな話だけど、クルマは個人のものであり、趣味のものであり、ある種のペットであり相棒である。少なくとも昭和の人たちにとってはそのはずだった。
しかしながら2000年代以降、昨今のエコブームなどを経て、多くのメーカーさんが目指してきたのはそうしたクルマたちの製造ではなく、「悪者ではないクルマ」づくりを謳って久しい。
二年に一回の東京モーターショーも閉幕。さまざまな思惑が伺える各メーカーの出し物だったが、誰に対してのクルマを作るのか? という部分で相変わらずの迷いが見え隠れしていたのも事実だ。
大都会に暮らす人間以外にとっては、相変わらず生活の重要なツールとして活躍するクルマだが、「地球にやさしい」だの「継続可能な社会を目指して」などと耳障りの良い言葉を並び立ててきたツケが「自動車離れ」世代を産んでしまった。少なくとも企業努力や技術革新に関する部分を消費者に押し付けたり、当てつけるのはお門違いも甚だしい。第一、人は自分以外の事のためにお金を使うことはまずありえないのに…。
なんだか、不満ばかり書いているようで不本意なのだが、それでもエールのつもりで言いたいのだ。
正直クルマは社会悪である。使い方を誤れば人を傷つけるし、電気にしても水素にしても、何をどうしたところで環境に影響を与えないはずはない。そんなことは誰でもわかってる。
でも、景気が良かろうが悪かろうが、たとえそれが無駄な買い物であってもクルマを買い続けてきたのは、他でもないクルマ好きなのだ。
どういう道理でクルマ離れした人間なんかに目配せするのか、まったくわからない。
クルマは誰のためのものなのか?
仕事や生活に必要だから使う人と、どうしてもクルマが欲しい人。これに尽きる。
クルマは公共の交通機関ではない。個人の移動を自由にするための道具なのだ。
だからクルマからFunを奪わないで欲しい。どういうクルマが喜ばれるかではなく、俺たちはこれがカッコイイ。これがイケているんだ!
とことんバカをやるくらいの気概がほしい。
水素やハイブリッドは確かに世界に誇れる技術だが、もっとシンプルに感情に訴えかけるものをそろそろ出してくれても良いんじゃないかな?
モノづくりニッポンとかのたまうのなら、今こそメーカーの矜持を見せてほしい。
世界的な状況を見れば、日本車にこそ、そのチャンスがあると思うのは私だけか?
それではまた近々
A prestissimo !!