世の中には星の数ほどランチアの魅力を語った記事があるので、いまさらここで書く必要もないほどだし、おこがましい限りだが、イタリアで暮らした日本人のいちランチアファンとしていくつかエピソードを紹介したい。
ランチアはの魅力は、その控えめでありながら、強い主張があるというアンビバレンシーにある。
エレガンテでスポルティーバ。
ある種イタリアの価値観の最上位にあるこの2つを兼ね備えるのはランチアなのだ。
これはあくまでイタリアでの議論の例なのだが、例えばフェラーリといえば新参者。もしくは派手で煩い車で切り捨てられる。
もちろん嫌いじゃないし、F1も応援する。ピニンファリーナの流麗なボディは、美しい女性に勝るとも劣らない魅力があるのも事実だし大いに認めている。
しかし、果たしてそんな彼女と結婚するかという問題になると、「乗るならランチアだ」という向きはフェラーリ社内にだって多い。
アルファロメオは? イタリアにおける両雄の片割れであるし、その歴史やFIAT以前の歴史的なモデルに尊敬すらしている。ただ、ランチアから見ればやや荒くれ者というか、少々軽い感じがする。
素晴らしい伝統は認めるし、独特の美しさは称賛の対象だ。もちろん否定はしないが、実はゆるい乗り心地やハンドリング。「かっこよけりゃいいだろ?」的な部分など、やっぱりランチア党からすると「俺は乗らん。」という意見が多く聞かれる。
ここまで来るとランチアは「偏屈者の乗り物?」ってことになるが、それも否定しない。パッと見てわかってもらえるようなことを求めておらず、味わって初めて良さがわかり、それを一瞬で見抜く人を相手にしたいという、ちょっと偏屈さがかっこいいと思っているフシがある。つまり、ランチアの良さがわからんような奴に「うちの娘はやらん!(謎)」という感じか…。完全なる偏屈。
多くのモデルの個性的なフォルムは「わかっててやってる」ものであるが、それは何より、主人公は車ではなく、乗り手であるというスタンスがある。
無骨で不器用な感じがあるのは、旧ベントレーや旧アストンマーチンの文法に近いというと話が通りやすいかもしれない。
それを証明するように、たとえFIAT傘下になったあとのモデルであれ、テーマやプリズマから出てくる人は、やはり「キチッとした人」に見えるから不思議だし、海辺や都会でも、なんとも言えない風格と存在感を示してくれる不思議さがある。
長くなってしまったが、FIAT以前のランチアについてのお話はまた次回!
それではまた近々。
A Prestissimo!!