イタリアよもやま話〜Bollito Misto vol.22

イタリア好きが嵩じてついにはフィレンツェに移住までしてしまったCollezioneイタリア特派員Noriによる、「イタリアよもやま話」。
ちなみに「Bollito Misto」とはいわば「ごった煮」のこと。
自動車、自転車、食事にワインやサッカーはもちろん、たまには真面目な社会的な?お話を勝手気ままにお届けします。

 

 

 

 

 

 

 

東京モーターショーが迫ってきた。
いろんな意味で正念場を迎えている日本の自動車。
というのも、日本で走っている自動車はその多くが軽自動車、バン、ハイブリッドの2ボックスといった、正直私のようなオールドスクールなクルマ好きにいわせれば、ちょっと退屈なものばかりだ。

 

 

 

若者のクルマ離れ、免許離れが嘆かれて久しいけど、その気持もわからんでもない。
大人にならないと免許もクルマも手にはいらないのに、肝心要の「大人の世界」が、彼らの未来に待っていないんだもの。そりゃ、未来からやってきた夢を叶えるロボットに、とにかく免許を取れって言われてもあまり説得力がない。

 

 

 

正直な話。やれ環境だ! 未来の技術だ! と講釈垂れられても、免許や車両本体から税金など、決して安くない金額を払う側としては幻滅しちゃうのは致し方ない。かつての僕らがそうだったように、今の子たちにはもっと現実味のある「ソソる」クルマが必要だろう。第一、2ボックスばっかりじゃあ、子供がミニカー買わないじゃないか?

それなのに、いきなり18歳になったら免許とってクルマを買えってのは、いくらなんでも無理があるのではないか?

 

海外のモーターショーで、そんな絵空事でユーザーを釣ろうなんていうメーカーなど存在しない。
もちろんワードとして技術や環境ということには触れている。
しかし、それが主語じゃない。
クルマは社会であり、必要要素であり(たとえそれが必要悪であっても)、いつだって老若男女問わず、生活だけでなく「思い出づくり」のツールなのだ。欲しいと思わせるポイントが、もっともっと単純で明快なのだ。

 

 

 

未来のためだとか、新しい技術とか、そんなに消費者に責任を負わせちゃ駄目だろう。もっともっと普通に「素敵なクルマ」を前面に押し出してほしいものだ。
そもそもニッポンの技術や、モノづくりの精神というのはカッコよく、世界から憧れられているものなのだから、技術や理論、うんちくの類はその後にしても十分に事足りるはずだ。

 

 

 

 

 

 

東京モーターショーでは、「ドヤ顔」のクルマを見たい。そういうクルマたちをズラリと並べて欲しいのだ。
それだけで、万の言葉よりも説得力を生む。世界はまた日本に注目する。

 

 

 

「頼む!買わせてくれ!」
そう消費者に言わせるようなカッコよさや奇想天外を、私達に見せつけて欲しい。どんな技術を用いたところで、実のところクルマはそもそもエコでないことくらい小学生でも理解できる。だからもう、社会に「ごめんなさい」し続けるようなコンセプトはもうやめて欲しいのだ。これじゃあ誰だってクルマになんか乗りたくなくなってしまう。

 

 

 

 

 

実物が買えないからミニカーや模型で我慢する…。

 

そんな、やるせないほどの憧れを放つのが、クルマ本来の仕事なんじゃないだろうか?
偉そうかな?偉そうですよね?すみませんでした。

 

 

それではまた近々

A prestissimo!